About Miri
Miri Iranian Knots
長い歴史の中でイラン高原の大自然によって育まれてきたペルシャ絨毯は世界中の人々の暮らしを彩り、豊かにしてきました。しかし近代に入ると大量生産の波の中で、絨毯は本来の輝きを失っていきました。
「ほんとうのペルシャ絨毯は、どこにいってしまったのか」ミーリー工房の五代目ラズィ・ミーリーのその思いが原点となり、試行と研究を重ね、復元不可能と思われていた完全な手紡ぎ・草木染の絨毯を現代に蘇らせました。
羊毛の採取から手紡ぎ、草木染、デザイン、織りの制作の全行程を行う工房は世界的にも類をみません。
全て自然の素材により、優れた職人が結びあげた絨毯には風土に培われた伝統とともに物作りの喜びが宿ります。自然と人が寄り添いながら作り上げるからこそ生まれる優しさをミーリー工房は大切にしています。
ミーリー工房の絨毯は、大自然に包まれるような心地良さを日々の生活の中で感じさせてくれるでしょう。




History of Miri



5代にわたって1820年から今日まで、ミーリー家は手織り絨毯の仕事に携わってきました。上質なアンティーク絨毯の鑑定士かつ販売をしていた3代目であるモスタファ・ミーリー氏は当初、アラブ諸国だけに絨毯を輸出していましたが、彼の息子であるジャヴァド・ミーリー氏の協力で1950年頃からスイスを中心にヨーロッパ諸国にも輸出をするようになりました。1956年のモスタファ氏の死後、次男のジャヴァッド氏と三男のターギ氏が後継者になり、1965年にターギ・ミーリー氏は SHERKAT SADERAT GHALIを設立しました。1974年にターギ氏の長男のラズィー氏が会社に参加し、数年で専務になり、1986年に次男のサデグ氏がパブリックリレイションマネージャーとして加わりました。5代目のラズィー・ミーリー氏は1988年に自ら上質な絨毯を作るための研究を始めます。だんだん廃れていった昔ながらの、染め、織り、柄を研究し、徹底した関わりの中で、各地方の伝統的な手法を復活させ、自らの指揮で上質な絨毯を作ることに成功したのです。1997年には、世界のどこにも類を見ない大々的な草木染の施設をシラーズに完成させました。
ラズィー氏を中心としたミーリー家の絨毯への情熱がアンティーク絨毯の復元を成功させ、そしてより上質な絨毯を生み出したのです。実績は高く評価され、5枚のミーリー工房の作品がロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館に、21枚の作品はイラン絨毯博物館に納められるようになりました。1994年には世界最高の手織り物を作ったとして、ベシム・オスカー賞を受賞しました。2004年には東京の松濤美術館で、2005年には岡山のオリエント美術館と一宮市博物館で「華麗なるペルシア絨毯の世界~イラン、ミーリー工房の復元作品と古典作品」が開催され、日本のみならず、世界中に反響を呼びました。大量生産の波に乗り、化学染料や機械織絨毯が普及し、ペルシャ絨毯が衰え始めたときに、ペルシャ絨毯にもう一度命を吹き込んだとして、ミーリー絨毯はサファヴィー朝ペルシャ美術ルネッサンスと似た現象だと言われるようになりました。
2001年にジャヴァド・ミーリー氏がハンブルグで亡くなり、2004年にはターギ・ミーリー氏がこの世を去りました。しかし、ラズィー、サデグ、ハビブの3人の息子により伝統はしっかりと受け継がれ、誠実さと芸術への美への追求が”KNOT(結び)”という最も華麗なフォームでペルシャの歴史に織り込まれています。